韓国の大学で、日本語専攻の学生と一緒にカタルタをつかって「物語の創作」をしています。
「書くこと」は本来、知的で創造的な作業だと思いますが、会話の授業などと比べると地味で時間もかかるのであまり好まれません。また、学生は「正確に書かなければ」とプレッシャーを感じがちです。ですので、このカタルタを使った創作(作文)クラスは、「とにかく楽しく書こう」というのを目標にしています。
]]>(以下転載、一部省略)
韓国の大学で、日本語専攻の学生と一緒にカタルタをつかって「物語の創作」をしています。
一つは、大学の2年生~4年生までの自由選択科目のゼミ(ゼミといってもHRのようなクラス)で、日本語での詩や物語の創作をしているクラスです。
もう一つは、この夏(2019)初めて韓国の放送大学の日本語キャンプ(スクーリング)の中上級レベルの作文授業で使わせていただきました。こちらは社会人学習者が中心です。
どちらも12名前後で、全く日本語ができない人はいませんが、受講生の日本語レベルにはかなりバラつきがあります。
「書くこと」は本来、知的で創造的な作業だと思いますが、会話の授業などと比べると地味で時間もかかるのであまり好まれません。また、学生は「正確に書かなければ」とプレッシャーを感じがちです。ですので、このカタルタを使った創作(作文)クラスは、「とにかく楽しく書こう」というのを目標にしています。
使い方としては、まず「スタンダード版」でウォーミングアップをしたあと、「ストーリーテリング版+絵本」で、物語をつくります。
ウォーミングアップは、「スタンダード版」を使っています。これはカタルタの一般的な使い方をだと思いますが、たとえば「趣味」や「先週末は何をしましたか」「夏休みは何をしたいですか」などの質問にひと言答えてもらってから、カタルタを1枚(~2枚)引き、話を続けます。メンバー全員が話し終わるまでします。時間があればいくつかのテーマで同様にします。全員でやることもありますが、4~6人ずつのグループに分けてすることもあります。
カタルタの使い方に慣れたら、いよいよ「ストーリーテリング版」を使って物語を作ります。
①3~4人で1グループをつくり、各グループにカタルタを1セット用意します。
②絵本を(冒頭部分だけ)読みます。
③各自、カタルタを5枚引き、シートに書き出します。
④各自、5枚のうち2枚以上を使って、物語の続きを考えます。
⑤各自、完成した物語に、タイトルをつけます。
⑥クラスで物語を披露します。(製本もします)。
なにか取っ掛かりがあった方が物語をつくりやすいと思い、私のクラスでは絵本を使っています。
これまでに『りんごがドスーン』(多田ヒロシ・作、文研出版、1975年)、『あかいふうせん』(イエラ・マリ・作、ほるぷ出版、1976年)、『バスにのって』(荒井良二・作、偕成社、1992年)を使いました。お話しの続きとして、いろいろな展開が考えられそうなものを選ぶと良さそうです。
たとえば、『バスにのって』をつかった場合は、まず、「バスにのってとおくへ いくところです」「空はひろくて風はそよっとしています。まだバスはきません。」と、見開き2ページ目までみんなで絵本を見みました。そして、各自5枚ずつカードを引き、そのカードのうち3枚以上つかって物語の続きを考えます。最後に、自分がつくった物語に、新しいタイトルをつけて完成です。
完成したものは、他の詩や物語とともに作品集に収めます。
この活動は、日本語学習者にとって、直接的には、カードに書かれている「ことば」の意味がちゃんと理解できているか、それをうまく使えるかという学習になります。しかし、なによりも短い物語であっても一つの作品を自らつくりあげることで、大きな達成感が感じられるということが大きいです。また、物語の始まりは全員同じですが、引いたカード次第で内容は変わりますので、自分が「書く楽しみ」だけでなくて、仲間のストーリーを「読む楽しみ」もあります。
カタルタを使うことで物語づくりのハードルが下がり、普段のレポートでは発揮できない創造的想像力をフルに使って、学生たちは楽しみながら日本語を使いながら学んでいる、そう感じます。
――
(付記)
以上、取り留めのないご報告になってしまいましたが、外国語としての日本語教育現場では、日本語でなにかをしなければならない/つくらなければならないという「場」を作り出すことが難しいです。そういう意味で、教師にとってカタルタは、教室に持ち込むことで「日本語の場づくり」を助けてくれる心強いツールだと思います。
――
(転載ここまで)
大変丁寧なご報告をいただき、多くのヒントと考える機会を得ました。また、メールでも追加でやりとりさせていただき、理解を深めさせていただきました。小松様は、より詳細に実践を報告する記事を専門誌に投稿されたとのこと。発刊されましたら、ぜひこちらでもご紹介したいと思います。小松様、改めましてありがとうございました。
※実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。ご感想や気軽なご意見もお待ちしています。
]]>(2018年6月7日の記事転載)
先日、Google様の社内ミーティングでカタルタをお使いいただき、「大成功だった」とのご報告をいただきました。
用途としては、チームビルディングの文脈だったそうで、「自己紹介と他己紹介でテーマについて話した後、カタルタをめくり、その続きを3枚分、即興で話す」という使い方をされたそうです。
特に他己紹介がもりあがったとのこと。お題としては、「◯◯さんはこんな人です」「◯◯さんはこんなことが得意です」という一文を述べた後に、カタルタをめくってもらったようです。
チームビルディングの文脈での事例は教えていただけることが少ないため大変ありがたいご報告でした。ご共有に感謝いたします。
::2016/05/19の記事を一部修正して再掲::
]]>(2019年2月28日の記事転載)
凸版印刷(株)九州事業部様が社内でカタルタを使用され、参加者の感想と担当者所感を共有してくださいました。利用機会はインターン生向けワークショップイベントで、利用法としては、カタルタを5枚使って参加者に自己紹介をしてもらったとのことです。
まず参加者の感想から。
<感想一覧>
真っ先に書き添えておくべきは、この場自体、企業が学生に自身を知ってもらい、学生は企業を知るという本来の目的がある中で丁寧に感想をご共有いただいているということです。参加者様、ご担当者様、関係者様に心より感謝申し上げます。
お話を伺うと、お手元のカタルタがロジカル版だったとのことで、シンプルな自己紹介ワークといっても比較的、難易度の高い体験だったことと思います。そんな中で、挑戦を楽しんだ方、面白がった方が目立っています。概ねポジティブです。
感想を正面から受け止めるなら、カタルタを楽しんだ方、面白がった方ばかりなので、純粋にうれしいことです。それはそれとしても、そもそもの分母がどんな方々だったのかという点は気になります。
さらに気をつけたいのは、学生さんは企業を知るためにインターンに来ているわけですが、大なり小なり見られている意識もあるということです。場の進行側がある種の言動を強いなくとも、場がそうした言動を誘発するということはあり得る話かと思います。 インターン生向けワークショップという枠組みを外しても、多くの方にとってつきあいの長い問題ではないでしょうか。
続いて、ご担当者様から頂戴したコメントをご紹介します。
<担当者所感>
どんな場面で使われているか、どんなことを期待しているかが端的にわかり、とてもありがたいです。
バラバラに入ってくることの多い情報が、今回のようにひとまとまりの情報として入ってくることは、文脈の理解につながります。カタルタはミニマルなプロダクトの類いなので、使う人の置かれた状況や背景を知ることによってこそ、提案するメソッドが意義を持ち始めます。提案しなくても見出していただく意義というのもまたありますから、新しいバランス点を探すのが私の役割だと考えています。今回、改めて再認識させていただきました。
ともあれ、今回のような場で、こわばったまま時間が過ぎるのではなく、より充実したものになることで、大事な選択が両者にとって望ましいものになるよう願うばかりです。
最後にもう一度、凸版印刷(株)九州事業部様のご厚意に感謝申し上げます。
次にどこかの誰かに起きうる、ささやかだけれど確かなきっかけを作れるよう、カタルタのメソッドを磨き上げたいと思います。
]]>(2018年6月12日の記事転載)
前回と前々回、あるお父さんとお子さんのカタルタ体験をご紹介する中で、カタルタの使いどころについての新しい認識を得ることができました。それは、思考のコントロールを強めるか弱めるかの両極が、カタルタの出番なのでは?という、使いどころの仕分け方についての認識でした。これは完全に副産物でした。それが一つ目で、実はもう一つ気づいたことがありました。今日はその二つ目について書いてみます。一言でいえば、驚きの主語が変化する話です。
はじめに、前回触れた「うまくいった要因」のうち、2番目のポイントについて振り返っておきます。
2番目のポイントというのは、次のようなものでした。
②毎度カードを5枚引かせたこと。
このことに、どんないいことがあったかというと、
②は単純に考えてワクワクする類の行為です。宿題ではまずやらないことでしょうし、気乗りしない取り組みを前に進めるために、ポップな儀式を導入した格好です。「偶然の下の平等」とでもいうべきものがあって、そこには、教える教わるではない関係性が立ち上がるように感じられます。誰も答えを知らない、体験を前にした平等ゾーンと言いましょうか。このプロセスは、やらされてる感を追い出すのに一役買いそうです。
言葉を探すように表現していますが、要するに「事前にカードを5枚引く」という一見必要なさそうな行為に、主体性を引き出す準備運動のような機能を見い出そうとしているのです。結果、何が起きたかといえば、お父さんが「衝撃」を受けました。当たり前ですけど、漫画でアゴが外れるような「衝撃」ではなく、「静かな衝撃」でした。これを前回は「望ましいアクシデント」「望ましい驚き」などと表現していますが、じわりと後から遅れてくる気づきのようなニュアンスを含みます。
もう少し考えを深めるため、ここで試しに、起きうる驚きを4パターンに分けてみます。
A お父さんが、お父さん自身の未知なる部分に気づく
B お父さんが、お子さんの未知なる部分に気づく
C お子さんが、お子さん自身の未知なる部分に気づく
D お子さんが、お父さんの未知なる部分に気づく
前々回ご紹介したエピソードに照らして見ると、たとえばD→C→B→Aの順で進行したのでは?などと、仮説を立てることができます。それが実際にそうであったかどうかはご本人たちに伺ってみないと分からないことですし、時間が経ってしまった今ではもう分からないことかもしれません。しかし、我々はこの考え方を、カタルタを使う場の目的を考えるときに思い出し、ワークのねらいを明確にすることができるのではないかと思います。
そしてここで気に留めておきたいことは、驚きの順番よりむしろ、ABCD同時に満たすことができるかもしれない可能性の方ではないかと考えます。当事者がどちらもやったことのないことをやることが、双方に複数の驚きを生むということ。それは言ってみれば、主語を「わたしたち(we)」にすることでもあるでしょう。また、複数の驚きが混ざり合って印象深いものになりもするでしょう。体験のインパクトがお互いの心に残るものであれば、体験が思い出され、語られ、気づきの機会を増やすことにつながるのではないでしょうか。そう考えると、体験を前にしたときの「偶然の下の平等」が確保されることの重要性が引き立つように思います。
さて、「望ましいアクシデントの起こし方」について考える旅はまだ始まったばかりです。その探求自体はこの記事では完結しません。最近あまり体験談を伺う機会のなかった、ご家庭での活用法を今回、伺うことができました。個人的には、考え事のピースを数枚、組み合わせることができたような気がしていますが、カタルタをすでにお持ちのみなさん、現場での活用法を探っているみなさんにとってはいかがでしょうか?
最後になりますが、今回体験談を語ってくださり、当ブログで記事にすることにも快く応じていただいたOさんに感謝いたします。ありがとうございました。
::2016/02/11の記事を一部を修正して再掲::
]]>先日の記事では、日記の苦手な小学生のお父さんの感想をご紹介しました。そして、望ましいアクシデントの起こし方に関心がある、というところまでお話ししました。今日はその続きで、カタルタを「どう使ったか」にフォーカスします。
]]>(2018年6月12日の記事転載)
先日の記事では、日記の苦手な小学生のお父さんの感想をご紹介しました。そして、望ましいアクシデントの起こし方に関心がある、というところまでお話ししました。今日はその続きで、カタルタを「どう使ったか」にフォーカスします。
まずはじめに、直接お父さんに伺ったお話を追加しながら状況を振り返っておきます。
この日お父さんは、宿題の日記を書かずに寝るところだったお子さんが、踏ん張って日記を書こうとするのを手伝おうとしました。その際「ふと思いついて」カタルタを使いました。使用したバージョンはスタンダード版とのことでした。これまでの日記の9割がたは「今日〜、まず〜、次に〜、楽しかったです。」という展開で書かれており、これをお父さんは宿題が嫌だから手を抜いているんだろうと思っていました。カタルタを使って話がいつもと違った展開で書かれるのを目の当たりにする中、ある発見をします。
このとき、お父さんは特に「なぜなら」という単語が使われたことがうれしく、衝撃だったとおっしゃいます。 お子さんは国語の宿題で「なぜなら」の使い方を問われたとしたら、問題なく理解しているのだそうです。しかし日記では「なぜなら」が使われることは過去にないことでした。ちなみにこのとき、引いたカタルタに「なぜなら」と書いてあったわけではありませんでした。独力で自然に使ったのです。だからこそお父さんにとっては、「なぜなら」を使った!という衝撃度が増したのだそうです。そのことを指してお父さんは、(日記の中で知っている接続詞を使って話を展開させる)「発想がなかった」「回路ができた」と表現されていました。実際、後日も「まず、次に、楽しかったです」ではない日記になっていたとのことです。
使った手順は先日の記事でご紹介しましたが、もう一度抜き出しておきます。
今日、ふと思いついて、一文を書いた後にカタルタを5枚引かせて、その中の一つを選んで文を続けるようにさせてみた。 そしたら、少し話が展開した。それを3回間にはさんだら日記がいつもの3倍位の長さになって文章らしくなった。
お話を伺った中で、うまくいった要因なのかなと個人的に思う点を3つ挙げると、
①鹿児島ではめずらしく雪の積もった日だった。
②毎度カードを5枚引かせたこと。
③カードの言葉を自分で選んで使わせたこと。
①は地味に見逃せない幸運です。鹿児島ではめったにない大雪で、街のあちこちに雪だるまやかまくらができていました。息子さんも例に漏れず、存分に雪遊びを楽しんだようです。そもそも本人に語れる内容、語りたい内容があることは、即興の難易度を下げる大きな要因でしょう。
②は単純に考えてワクワクする類の行為です。宿題ではまずやらないことでしょうし、気乗りしない取り組みを前に進めるために、ポップな儀式を導入した格好です。「偶然の下の平等」とでもいうべきものがあって、そこには、教える教わるではない関係性が立ち上がるように感じられます。誰も答えを知らない、体験を前にした平等ゾーンと言いましょうか。このプロセスは、やらされてる感を追い出すのに一役買いそうです。
③は即興性を格段に下げる使い方です。オモテ面(言葉面)が最初から見えた状態で使えそうなもの、使いたいものを選ぶだけですので、語り手が不慣れな場合や、複数の参加者で言語運用の習熟度にばらつきのある場合、語るテーマへの理解度がまちまちな場合、事実に基づいてじっくり語りに集中したい場合にオススメです。(そういえば鹿児島大学の久保田治助先生がこれに近い使い方を、社会教育の授業で実践されているのを見学させていただいたことがあります。)
こうしてみたときに、カタルタは使い方次第だなあとつくづく思います。今回のことで特に③について考えを巡らせ、カタルタを使うのに適した場面のイメージが図になって浮かびましたので、勢いで共有しておきます。
思考のコントロールを強めるか弱めるかの両極が、カタルタの出番なのでは?という仮説を示した図です。「弱める」というのは、カタルタを「普段の思考を手放すための助けとする」ということです。そのためには即興性高くカタルタをめくる方向で、やり方を調節します。たとえば、3枚裏返しに伏せて置いておき、順にめくりながら作文するであるとか、54枚を5分ですべてめくって語るといったやり方が例に挙げられます。
逆に「強める」というのは、「思考を確実に進めるための助けとする」というイメージです。知っている言葉がビジュアル化され、モノ(カード)としての形態を与えられているのですから、その特徴を活かすようにやり方を調整します。
カタルタを使うことは「書くこと」と「話すこと」の両方に足のかかった行為ですが、それだけではなく、カードを「見る」「選ぶ」「配置する」といった行為が具体的に発生します。今回の例で、たとえば「選ぶ」という行為一つ見てみても、次のような思考がなされた可能性があるのではないでしょうか。
・カードの語を知っているか
・この日記の中で使えそうか
・具体的にどう使うか
「即興で答える」といった瞬間芸とは違い、このような各ステップに対して丁寧に意識がなされることが、思考を「確実に」進めることを手助けすることにつながっているものと考えます。
さて、「望ましいアクシデントの起こし方」に関心を持ちながらこの記事を書いていますが、ただただ即興でめくればよいという話ではないのは確かです。おそらくは、思考を弱める側からも強める側からも、望ましい驚きにはたどり着けるのでしょう。求める先は驚きといっても、静かな衝撃のことです。また次回、もう少し続きを考えてみます。
::2016/02/08の記事を一部修正して再掲::
]]>(2018年6月12日の記事を一部修正し再掲)
先日、カタルタで小学生のお子さんの日記に変化が出たよ!という、うれしいご報告をいただきました。カタルタを使ってる人はどんな風に使ってるの? どんないいことがあるの? そんな疑問にお答えする一例になるかもしれないと思い、お話を伺ってきました。SNSの記事からの転載許可をいただいたので、まず、お父さんの感想記事を抜粋してご紹介します。
小3の長男が日記をまじめに書かない。
いつも、
「今日は何々しました。
誰々と何々しました。
次は何々しました。
楽しかったです。」
みたいな小1から全く進歩のないぶつ切りの文章しか書かず、最後はほとんどが、面白かったです。か、楽しかったです。で終わる。
いろいろ言って聞かせてもやっぱりまじめに書かない。
ある日は、お父さんも自分で考えながら毎日少しずつ文章を書いてこんなに続けてるんだよ。なんで書くかというと、云々、書く練習はこれからの人生を豊かにするためだと言い聞かせた。その時は目を輝かせて聞いてたので、これでまじめに頭を使って書くかと思ったらやっぱり書かない。
今日、ふと思いついて、一文を書いた後にカタルタを5枚引かせて、その中の一つを選んで文を続けるようにさせてみた。
そしたら、少し話が展開した。それを3回間にはさんだら日記がいつもの3倍位の長さになって文章らしくなった。
もっと驚いたことに、一度カタルタを挟んだだけなのに、その後の文章もカタルタは使わずに「そしたら」とか「でも」とか「だから」とかのリンクワードを勝手に挟んで話を続けるようになった。
それではじめて、まじめに書かないんじゃなくて書けなかったんだと気づいた。
この子には文章を書くという技術の中に接続詞等を挟んで話を展開していく、というような発想がまだ抜けたままだったんだ。(それは、そういうきっかけを逃し続けて来たんだろうから僕の責任もいくらかある。学校で習ったかもしれないけれども、テスト以外の場面では自分の書くという技術と結びついてなかった。)
ひょっとしたらリンクワードを利用しないと人間は文章や思考そのものの循環を起こせないのかもしれない、と思わせるだけの変化だった。
お父さんもお子さんもうれしかったでしょうが、私もうれしくていてもたってもいられず、翌日にはこちらのお父さんに会いに伺いました。
お断りしておきますが、カタルタのブログだからといって、カタルタに手柄を独り占めにさせる気は毛頭ありません。第一、いつも日記を見てくれないお父さんが日記を書くのにつきあったという前提があります。お子さんの日頃のがんばりだって前提にありますし、お母さんや先生、友達との会話など、他の要因の力が多分にあったことでしょう。
私の関心はと言えば、どうやったら望ましいアクシデントが起こせるのかということにありました。
関心の矛先を明らかにしたところで、今夜はこのへんで。続きはまた次回、言葉にしてみたいと思います。
::2016/02/03の記事を一部修正して再掲::
]]>(2019年6月20日の記事転載)
僕が知らないだけで、カタルタ体験の特徴をうまく活かして実践の場で使用されている方は、確実にいらっしゃるのだろうと思います。そんな事例の一つを、つい先日知りました。2014年の大分県立大分工業高校で実施されたもので、就職試験のグループワーク対策としてカタルタを使用した資料がWEBで公開されています。http://bitly.com/2IC2d12
リンク先にある生徒さん向けの資料の中では、「楽しむ」ことがキーワードとされています。楽しい場にしたいというのは明らかなので脇に置いておくとして、限られた時間で体験を充実させることにつながる要素として着目している点をここでは2つ挙げ、考えるきっかけにしていきたいと思います。
どちらもカタルタが果たすことのできる役割だと考えていることです。
グループワークでよくある光景が次のようなものです。
誰かがカタルタをめくったとき、参加者はみなそのカードに注目します。その瞬間はみな同じ言葉を思い浮かべています。その後、一瞬それぞれに考えを巡らす。新しい情報が話者によって追加される。そしてまた次のカタルタがめくられることでみな同じ言葉を思い浮かべる。
と、その流れを繰り返す中でだんだんと、語られているシーンの詳細や文脈の理解が揃ってきます。理解の歩調が合ってくるわけです。
そんな風に前提が揃った上で、みんなの意識が一点に集まると、特に話者の行為は注意深く観察され、評価され、共有されやすくなる。
その結果として、気づきや共感の場面が増えたり、その場が印象深いものになる。
こうしたことは大いに起きているのだろうと思います。
一方で、“増やす”ばかりでなく、“減らす”ことも大事でしょう。話題化することが多すぎて収集がつかず、重要な発見や気づきを回収できないのではもったいないからです。
フィードバックを得るにしても与えるにしても、許容量を超えてしまっては、その考察の結晶化に時間がかかることは容易に想像されます。
それに比べ、話題がある程度絞られていれば、物事は吟味され、反芻されもするでしょう。結果、授業の時間、研修の時間という枠を超え、日常全体に渡ってその日の体験について振り返る機会が生まれるという側面はあるのではないでしょうか。そこからさらに派生する思考や会話だって期待できます。
そんなことを言い出したらキリがないように思えますが、重要なのは起点が自覚されることではないでしょうか。それによって始まりがなんであったかを認識し、逡巡しかねない思考の中にも因果関係がセットされます。そのようなプロセスを経て生まれたのが他でもなくカタルタだったということもあり、長く考える、何度でも考える、というアプローチが楽しいものになるよう応援したい気持ちが僕にはあります。勝手に。
と、外野で書き散らしているわけですが、就職試験での成果に少しでもお役に立てていたらよいなと心から思います。何しろ5年前の資料のようですので、なおのこと感慨深い。カタルタにも歴史ができてきているのだなと実感します。
当記事を読まれた方で、ご自身の実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。
]]>(2019年7月26日の記事転載)
広島県立三原東高等学校のHR活動でカタルタをご活用いただきました。目的としては進路決定に向けたもので、その実践内容を教えていただく機会を得ました。実践・ご報告をいただいた村上貴之先生、関係者様、ご共有に感謝申し上げます。
大変嬉しいことに結果は上々、「いい感じに進んだ」とのことで、
今回は,3学年4クラスでカタルタを使った授業を実施しましたが,どのクラスも盛り上がった授業になったようです。国語科の先生は,「自分の授業でも使えそう」と言っていました。
と、このようなお声もいただきました。
さて、どう実施されたのか。どんなことが起きたのか。早速見ていきたいと思います。
今回、村上先生は生徒さんらの進路決定を目的に、生徒さん自身の書いた長所・短所の内容が広がっていくことを期待して、カタルタを使ったワークを企画されました。以下、ご報告をそのままご紹介し、間でコメントしていきます。
本日,HR活動(面接に向けて)でカタルタを利用させていただきました。
授業計画としては,全員がカタルタを引く。
ペアになり,①学校生活で一番頑張ったこと,②あなたの長所,③あなたの短所,④関心を持ったニュース,⑤あなたの趣味,⑥入社後(入学後)は何をしたいか,の項目から一つを選び,回答を求め,持っているカタルタを見せ,その接続詞に続けて話をする。
ペアをずらしながら,上記作業を繰りかえしていく予定でした。
テーマを選ぶ方式にし、即興度を落としたシンプルなルール設定をされています。名刺交換ワークをご存知の方は、そのカード交換をしない版と思えばイメージしやすいでしょう。組んだ相手のカタルタワードに続けて語るというやり方のようです。ちなみに、「予定でした」と過去形なのは、実際には予定変更をされたからです。詳しくは後ほど。
今日の授業では,まずデモンストレーションから始めました。「自分は脳の瞬発力があると思う人」と生徒に呼びかけ,応じた二人を前に出しました。二人は不安げな様子です。
私が,一人に「あなたの長所は?」と質問しました。その生徒は,「何事にも最後までやり遂げることです」と答えたので,私がカタルタを引き,その生徒と他の生徒に見せました。そのカタルタには,「具体的には」と書かれており,「具体的には」に続けて,話すことを求めました。その生徒は,悩んでいましたが,「ピアノです。小学生のころから初めて今もずっと続けて頑張っています。」と答えました。
もう一人にも「あなたの長所は?」と質問しました。その生徒は「切り替えの早いところです」と答えたので,前述の生徒にカタルタを引かせ,出てきた「いいかえると」に,続けて話をさせました。二人の続けての話に対し,他の生徒たちは,拍手でした。
生徒たちは,この授業で何をするのか,カタルタは何なのか,どうこたえるかといったことに興味津々でした。
生徒さんの楽しんでいる様子が伝わってきます。デモンストレーションが適量で非常にスムーズな立ち上がりといった印象を持ちました。やり方の特徴としては、語り出しの一文を最初から据えるのではなく、質問から始まり、それに対する回答がそのまま語り出しの一文になっています。そしていよいよワークへ。
デモンストレーションを終え,全体の作業スタートです。
全員にカタルタを引かせ,ペアを作り,質問者と回答者に分かれて模擬面接をしました。珍回答も出ているようで,笑い声があちこちであがりました。
「そろそろ,ペア交代を」と思ったのですが,ウチのクラスの生徒たちは,カタルタにつなげて話をするのにすぐに出る生徒,なかなか出ない生徒とペアによって時間がまちまちになり,一斉に初めて一斉に終わることにはなりませんでした。
したがって,ペアでの作業は止めて,適当にグループを作らせ,グループでの作業に変更しました。
ここで早めの方針転換。即興に対する得手不得手についての個人差もあるでしょうが、語りの内容が現実に則しており、深く考えて答えるような内容が語られる場合は、即興度かテーマの難易度を下げるのがよさそうです。
今回の場合ですと、元々枚数は一枚だったようですし、即興度を下げるよりも、語りのテーマの難易度を下げるともう少し語り終わりが揃ってくるかもしれません。その場合、HR活動の本来の目的との関連性をどれくらい保持してテーマ設定できるか、あるいは練習と割り切ってとにかく語りやすいテーマにするか、といった設計上の分岐点がありそうです。
それでも、この場で何をするのか、カタルタとは何なのかということが伝わったのは確かなようです。その証拠に、この後何が起きたか。一言で言えば、“自走”です。
生徒たちは,一つの質問に対し,順番にグループ内の誰かのカタルタに続けて話をしているようです。
そして,グループを渡り歩く生徒もいて,クラス内は混沌としながらも,カタルタを使って,①~⑥の質問を生徒同士でしていました。
すると,まず,新たなカタルタを求めて私のところに来る生徒が出てきました。生徒の持っているカタルタと交換といった形で,新たなカードを渡しました。
次に,出てきたのは,私の持っているカードの中から,答えにくい接続詞のカードを探して持って行く生徒です。JOKERや「いつのまにか」「なぜか」「せっかくだから」を見つけ,嬉々として自分のグループに持って行きました。
カタルタにつなげてどんな話をするか,生徒たちは,楽しみながら脳をフル回転させていました。
自分自身のことを考えて言葉を探し、クラスメートのことを知る。さらに方法を探求し、実践する。その一切がHR活動の一コマに収まっているのですから、さぞかし「脳をフル回転」させたことでしょう。
見逃せないのが、予定変更後はカタルタをどう使うかが生徒さんに委ねられている点です。方法自体を生徒さん自身が考え出していく様子が可笑しくもあり、頼もしくもありました。やらされていない感じといいましょうか。遊び心が損なわれていないのが素敵だなと思います。実際、後日次のような補足をいただきました。
授業の後半では,生徒たちは,それはもう”勝手”に,カタルタを楽しんでました。(「主体的な動き,能動的な授業」とも言えます。)
ここでの体験はカードを使ってこそいますが、言葉の用い方や言葉のやり取りについては現実と似ています。手渡したりもらい受けたりという構造は同じです。しかし体験の質感が違う。言葉に自覚的になる程度が違う。そこで実感することは、「いろんな方向へ考えることができる」とか「いろんな尋ね方ができる」といった、至ってシンプルなことかもしれません。しかし、本来そのような言語運用能力が自らに備わっていることが再認識され、それがそのまま自信に繋がっていくとよいなと思います。
最後に、ポイントを整理しておきます。
いずれも、語りたい気持ちに照準が当たっているとお見受けします。それは、語るテーマへの理解を深めること、新しい表現を獲得することに資するものでしょう。言ってしまえば、カタルタはトリガーに過ぎません。先生がそのトリガーに対して当初期待した役割をゆるめ、コントロールを弱めていったのと反比例するように、生徒さんらが考える分量が増えていったように感じられました。その場の交通整理がうまくなされたらこんな風に進行していくという、よいケースだと思います。
村上先生、関係者のみなさま、改めましてご共有いただきありがとうございました。
※当記事を読まれた方で、ご自身の実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。
中学校の国語の授業でカタルタを使用されている先生に、実践例を教えていただきました。快くご共有いただき、感謝申し上げます。詳細をご紹介しつつ、窺い知れること、気づいたことを書き添えていきます。
まず教えていただいたのは、次の3つの利用用途です。
]]>(2019年 8月27日の記事転載)
中学校の国語の授業でカタルタを使用されている先生に、実践例を教えていただきました。快くご共有いただき、感謝申し上げます。詳細をご紹介しつつ、窺い知れること、気づいたことを書き添えていきます。
まず教えていただいたのは、次の3つの利用用途です。
念のために補っておくと、こうした事例は大抵の場合こちらで用途の提案をしたのではなく、現場の先生よって開拓された用途です。カタルタ自体は幅広い利用用途で効果的に思考を活性化するために、ツールを構成する要素を削ぎ落とせるだけ削ぎ落としてあります。したがって、使い方の詳細や語りのテーマ設定を場に応じて使い手が補っていく必要があります。
上記の用途で具体的にはどう使われたのか、またその前後での変化について、さらに教えていただきましたので詳しく見ていきます。
席替えをカタルタの利用機会と捉えることは、個人的には盲点で、とても新鮮でした。なぜ気づかなかったのかと思うほど、カタルタがうまくハマりそうな機会だと思います。
具体的な使い方としては、席替えをした後に自己紹介して即興で3枚めくって語るといった使い方の他、「最初に3枚程度配って,カードの言葉を使って自己紹介」というものだそうです。「カードの言葉を使って」というのは、即興でめくって語るのではなく、手札の中から自分で言葉を選んで使うということです。
即興語りの難易度を落としたこの使い方は、場に本来の目的やカリキュラムがある場合によく採用されています。席替えでなくとも、教育現場や研修での馴染みがよさそうです。
「話す、聞く学習」は、どちらも裾野が広く、それぞれにいろんなポイントがありそうです。具体的な使い方とともに、カタルタの有る無しでどんな違いがあるのか、お伺いしました。何往復もやり取りをしたわけではありませんので、一度の質問でご回答いただいた内容を引用にてご紹介します。細かくお尋ねしたわけではないからこそ、先生が重視されたポイントがなんであったかが明確になるかと思います。
こちら側から話すテーマを与えて,そのテーマについてのフリートークをカードの言葉で話を繋ぎながら,最後までその話題で話をさせたり,各グループでテーマを決めさせて,同様のやり方で話をさせたりしています。いずれにしても,時間(5分ほど)で活動させます。テンポよく話ができるグループはカードを使いきって話せます。5分後に報告させると,使いきれなかったグループの闘争心を刺激するようです。
話すことが苦手な子はフリートークですと、フリーライダーになります。つまり話し合いに参加しない、できない、ということがあります。カードをめくって一人ずつ話をしなくてはならない状況下を敢えて作ることでその後の話し合いへの参加のハードルを下げることができるかなと感じています。様子を見ても話せる子に比べれば少ないですが,発言する姿が見られます。 用いないで話し合いをさせるよりは,話し合いが活発化すると思います。 カードの接続語等を用いながら,前の人の話を受けて話をつないでいくことをルールとして課すので,傾聴姿勢も育っていると思います。
ご報告の内容が濃く、もっと知りたいこと、考えたいことで頭が溢れかえってしまいますが、ここでは一点だけ触れておきます。ワークのルールがコミュニケーションの作法としての役割を果たしている点。これが何を守っているかと言えば「機会」ではないでしょうか。話す機会、聞く機会、言語化する機会、知ってもらう機会、失敗する機会。そうした機会を最大化し、リスクを最小化するのが練習や訓練といったものでしょう。一旦、このキーワードを書き留め、先に進みます。
ここで1つドキドキした点が、「日常的に」授業の導入場面で使っていただいているとのこと。相当なヘビーユーザーの方からお話を伺えたわけです。そうであるからこその利用のバランス感覚を学びたい! と思うのでした。
スタンダード,ロジカル,ストーリーと買い揃えておるので,様々な場面や発達に応じて使わせていただいております。
詳細はわかりませんが、基本的にはこれまでに出てきた使い方を適宜調整されているものと想像されます。
「語彙を増やす目的」ということで、「聞き馴染み」があっても「使い馴染み」のないカタルタの 語句を使ってみる試みなのか、と確認させていただいたところ、あっさりと予想が外れました。
カタルタのカードの接続語や副詞などの語彙は,聞き馴染みも使い馴染みもないという生徒は,案外多くいます。カードを使うことで,言葉に出会う機会にしようというのがこちらの意図です。
カタルタの文言について「聞き馴染みもない」生徒さんが案外多いというのは意外でした。しかしそれが中学校におけるリアリティーの一端だと知ることができたことは、非常に意味のあることです。そして、「言葉に出会う機会にしよう」という意図が明確であることが、私の職業意識を鼓舞します。
言葉の難易度に対しての認識を更新しつつ、思考の展開の偏りをどうほぐしていくかの塩梅をさらに考えていく、その思いを新たにしました。そしてその思いを励ましてくれるような観察がなされていることもまた、続けてご紹介します。
話し合い中に出てきたカードの言葉と初めて出会ったときは,とりあえず使って話をしていますが,子どもによってはその言葉を正しい文脈で使いたいと思うようで,自主的に辞書を引いたりするなどして,語義をきちんと理解して使おうという者がいるなど,効果がありました。
関心が立ち上がり、辞書を引くという自主的な行為につながっています。
また,語りの中でも使う者はおりますが,話すよりも,一番カタルタをする前と後で変容が見られたのは,作文です。カタルタを使う前には登場しなかった接続を用いて論理展開するなど,より論理的な意見を書く者が増えました。
先生の実感として大きいのが、作文の出来に変化が見られたこと。これは大いに気に留めておこうと思います。以前、小学生の日記の内容が豊かになった事例をご紹介しましたが、中学生に関しても、同様の変化が起きたことはうれしいご報告でした。
ここまで盛りだくさんだったので、お伺いした内容を2つのリストに整理しておきます。
以下に、あなたの望む変化はありますか?
カタルタに書いてあるのは、基本的にはごく普通の言葉です。それらは分節化され、選定され、カード化されています。逆に言えばそれだけの差分しかありません。だからこそ練習が本番に似るのですし、非日常と日常の境が消えうるのだと思います。そのような体験が、思考と現実の連絡経路を切り拓いていくことに繋がる。そんなイメージを持っています。
言ってしまえば、カタルタで起きる変化というのは、本来の言葉のあり様とカタルタとの小さな差分に反応した人間が生み出すものに他なりません。そのささやかな違いによって、どれだけの変化を生み出すことができるのか。我々はそのことに挑戦していると言えます。
今回も、多くのヒントと考える機会をいただきました。ご報告者様、改めましてありがとうございました。
※ご自身の実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。心からお待ちしています!
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(2019年9月26日の記事転載)
日本福祉大学の中村泰久様より実践例をご共有いただきましたのでご紹介します。 中村様はご自身の専門である精神疾患を持つ方へのリハビリテーションにカタルタを使用されているそうです。貴重な機会をいただき感謝いたします。
医療・福祉の現場で、どのようにカタルタを活用されているのか。同業界はもちろん、業界が違っても参考になるところが大いにあるのではないでしょうか。
主に1の用途で具体的にはどう使われたのか、また使用前後での変化について教えていただきましたので見ていきます。
精神疾患を持つ方は見る・感じる・聞く・話すなどの認知機能が低下すると言われています。それにより自由な発想(発散的思考)が乏しく、即興で表出しづらいといわれています。そのため、発言が定型化しやすい傾向がありました。例えば「昨晩はよく眠れたので、今気分はいいです」などです。もう少し、精神疾患を持つ方が日々考えていることや会話上の表現の豊かさを引き出せる方法がないかと考え、カタルタを使用しました。
日々考えていること。会話上の表現の豊かさ。どちらも精神疾患を持つ方を理解し、手助けするための手がかりを増やそうとされているものとお見受けします。
ルールはカタルタを3枚配り、①今の気分を10点満点(10点がとても良い、1点がとても悪い)で言う。②その点数の理由を言う。③配られた3枚のカタルタを使用してそれに続く話をする(3枚使用できたらとても良い、2枚、1枚でもOK)としました。
始まりの一文ではなく、まず気分に点数をつけ、理由を語り、その後与えられたカタルタワードを自分で選んで使って話す。語るにも助走があり、徐々に言語化を進めていくというステップが設けられています。その過程に伴走しながら理解を深めていくようです。
表現が次のように変わったとのこと。(※プライバシー保護のため、内容には中村様による変更が加えられています)
「今の気分は2点です。昨晩夜遅くまで日本代表のサッカーの試合をTVを見ていたから、今はあまり気分がよくありません。さすがに予選では負けないだろう。と思って見ていましたが、やっぱり、勝ちました。 そして、次から強豪のチームと対戦が深夜にあるのでまた寝ずにサッカー見ちゃうなぁと少し困っています。」
カタルタを使う事で今の気分とそれに関連する情報や考えている事などを接続詞が視点を変えるため表現が多彩になりました。
専門的に考えると、自身の出来事を配られたカタルタで話すうえでの効果的な接続詞の順番や組み合わせをその場で考えることは認知機能を活用し、日常生活での会話や対応の即興性を養うと思います。
カードは即興でめくるのではなく、順番や組み合わせをその場で考えるという行為に意義を見出されています。それが「認知機能の活用」や「日常生活での会話や対応の即興性を養う」とされています。リハビリテーションが目的とのことですから、その場で閉じた体験として計画されたものではなく、日常生活へ少なからぬ影響を期待しているものでしょう。理論的な詳細はわかりませんが、大いに関心を持ちました。
受け持たれている講義でも活用されているとのこと。異なる場面ではまた違った使い方をされているようです。
同様に講義の中で学生にも使っていますが、盛り上がります。カタルタによる不確定性とその場で文章を考えていく即興性が若者にはラップ的な印象なのかもしれません。
今回は具体的な手順についてお伺いしておりませんので詳細はわかりませんが、即興性が高く、リハビリでの使い方とは違ったもののようです。
普段やらないことへのチャレンジ感があるのか、普段親しんでいる感覚が学びの場に導入されたことの快感があるのか。伺ったことに限りがあるため想像任せになりますが、とにかく「盛り上がる」からには話者に対する注目が集まったり、障壁を乗り越えるドラマが大なり小なり生まれたりしているのでしょう。 自らの言葉で周囲が湧き、場に貢献している実感が得られる。参加していることの意義が深まっていることが自覚される。その充実感や高揚感は決して他人事ではなく、想像されるところです。
盛り上がったことを受け、そこからどう発展させていくのかという議論があるでしょうが、これについては機会を分けて検討したいと思います。
実践例として伺うお話ですから、カタルタ以前にその場には主題があり、それが日常へ持ち出されたり、逆に日常から持ち込まれたりするという運動があります。この内と外の移動にともなって起きることと、別用途へ転用しようとするときに起きることには繋がりがあるのではないかと思います。いわばこの縦糸と横糸の交点をよく見ようとするなら、「認知」に対して理解を深める必要がありそうです。
医療や福祉の現場でカタルタが実際に活用されていることは、率直にうれしいことです。直接お話を伺うことができ、大変ありがたい機会でした。一方で身の引き締まる思いでもあります。今回のご報告には出てこなくとも、専門家ならではの配慮や注意の手向け方があることでしょう。場ごと、人ごとに物事のバランスが変わるという側面もあるでしょう。そんな中で事例に学べることがあるには違いなく、いくらツールの使い方をユーザー様に委ねているとはいえ、せめて実態に根ざした発信や探求に努めたいと思うのでした。
今回も、多くのヒントと考える機会をいただきました。中村様、改めましてありがとうございました。
※ご自身の実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。ご感想や気軽なご意見もお待ちしています。
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