(2018年6月12日の記事転載)
前回と前々回、あるお父さんとお子さんのカタルタ体験をご紹介する中で、カタルタの使いどころについての新しい認識を得ることができました。それは、思考のコントロールを強めるか弱めるかの両極が、カタルタの出番なのでは?という、使いどころの仕分け方についての認識でした。これは完全に副産物でした。それが一つ目で、実はもう一つ気づいたことがありました。今日はその二つ目について書いてみます。一言でいえば、驚きの主語が変化する話です。
はじめに、前回触れた「うまくいった要因」のうち、2番目のポイントについて振り返っておきます。
2番目のポイントというのは、次のようなものでした。
②毎度カードを5枚引かせたこと。
このことに、どんないいことがあったかというと、
②は単純に考えてワクワクする類の行為です。宿題ではまずやらないことでしょうし、気乗りしない取り組みを前に進めるために、ポップな儀式を導入した格好です。「偶然の下の平等」とでもいうべきものがあって、そこには、教える教わるではない関係性が立ち上がるように感じられます。誰も答えを知らない、体験を前にした平等ゾーンと言いましょうか。このプロセスは、やらされてる感を追い出すのに一役買いそうです。
言葉を探すように表現していますが、要するに「事前にカードを5枚引く」という一見必要なさそうな行為に、主体性を引き出す準備運動のような機能を見い出そうとしているのです。結果、何が起きたかといえば、お父さんが「衝撃」を受けました。当たり前ですけど、漫画でアゴが外れるような「衝撃」ではなく、「静かな衝撃」でした。これを前回は「望ましいアクシデント」「望ましい驚き」などと表現していますが、じわりと後から遅れてくる気づきのようなニュアンスを含みます。
もう少し考えを深めるため、ここで試しに、起きうる驚きを4パターンに分けてみます。
A お父さんが、お父さん自身の未知なる部分に気づく
B お父さんが、お子さんの未知なる部分に気づく
C お子さんが、お子さん自身の未知なる部分に気づく
D お子さんが、お父さんの未知なる部分に気づく
前々回ご紹介したエピソードに照らして見ると、たとえばD→C→B→Aの順で進行したのでは?などと、仮説を立てることができます。それが実際にそうであったかどうかはご本人たちに伺ってみないと分からないことですし、時間が経ってしまった今ではもう分からないことかもしれません。しかし、我々はこの考え方を、カタルタを使う場の目的を考えるときに思い出し、ワークのねらいを明確にすることができるのではないかと思います。
そしてここで気に留めておきたいことは、驚きの順番よりむしろ、ABCD同時に満たすことができるかもしれない可能性の方ではないかと考えます。当事者がどちらもやったことのないことをやることが、双方に複数の驚きを生むということ。それは言ってみれば、主語を「わたしたち(we)」にすることでもあるでしょう。また、複数の驚きが混ざり合って印象深いものになりもするでしょう。体験のインパクトがお互いの心に残るものであれば、体験が思い出され、語られ、気づきの機会を増やすことにつながるのではないでしょうか。そう考えると、体験を前にしたときの「偶然の下の平等」が確保されることの重要性が引き立つように思います。
さて、「望ましいアクシデントの起こし方」について考える旅はまだ始まったばかりです。その探求自体はこの記事では完結しません。最近あまり体験談を伺う機会のなかった、ご家庭での活用法を今回、伺うことができました。個人的には、考え事のピースを数枚、組み合わせることができたような気がしていますが、カタルタをすでにお持ちのみなさん、現場での活用法を探っているみなさんにとってはいかがでしょうか?
最後になりますが、今回体験談を語ってくださり、当ブログで記事にすることにも快く応じていただいたOさんに感謝いたします。ありがとうございました。
::2016/02/11の記事を一部を修正して再掲::