「KATARUTA Lab #3」開催レポート

オンライン・トークセッション KATARUTA Lab #3 が9月29日に開催されました。

ゲストには、神戸芸工大で日本語教育に携わる小松麻美さん(芸術工学教育センター 准教授)を迎え、大学の授業でのカタルタ活用法をご紹介いただきました。聞き手は福元が務め、テーマとした「想像力」とカタルタの関係性についてトークしました。

また、前回に続き、岸智子さんにグラフィックレコーディングをしていただきました。文字とイラストを組み合わせた議事録で、端的にポイントを押さえたまとめになっています。

 

 

学びに創造的な活動を取り入れている小松さんは、大学の教室でカタルタを使っていらっしゃいます。なぜ使うかといえば、学びのプロセスが楽しくなるからです。小松さんは楽しさが学びにとって大切だと考えています。そこでカタルタの出番となります。
 

カタルタを使う目的

カタルタに期待される点は二つに集約されます。

一つは遊びの要素を手軽にアクティビティに取り入れること。もう一つは創作のほどよい助けとなること。

こうした点を、話す活動、書く活動の両方の場面で取り入れられているようです。
話す活動に関して言えば、主に場づくりに活用されていました。たとえば授業の冒頭で、雰囲気を温めるためにカタルタを使う。目的は、その後の活動をリラックスしてよい学びの時間にするためです。

話す活動にカタルタを取り入れるにあたり、想像力を触発する即興劇の良さを念頭におきつつ、アジア人に顕著な照れやすさをケアするのだそうです。これは、カタルタを用いることにより、即興における心理的なハードルが低くなる点に小松さんが着目しているからです。カードの言葉を読み上げる行為が、そのまま演じることにつながっている点は、カタルタ特有の体験かもしれません。話者は演じている意識がないか、あるいはその意識が低いため、"演じる"ことへの拒否感が低くなります。結果、即興劇に期待したことのいくらかを得ることができるのなら、これは注目に値する工夫と言えるのではないでしょうか。

一方、書く活動では、創作のほどよい助けとしてカタルタを使っていらっしゃるとのことでした。その他のツールを組み合わせて使うこともあるそうです。与えられた自由が大き過ぎて学生の筆が止まるくらいなら、適度な制約をガイドとして活用してもらう戦略のようです。このとき、目的は自分たちの作品をつくることとし、自分で考えた話を小冊子にするところまでをゴールにされています。こうすることで、学生はより「その気」になり主体性や創造性を発揮することが見込まれるそうです。 

 

想像力とカタルタの関係性

私たちは想像力によって、見えないものや経験していないことを思い浮かべることができます。想像力とカタルタとの関連を見出そうとするときに、小松さんが引き合いに出されたテキストは、次のようなものでした。

「抽象的で仮説的な思考は、自分が体験していない状況を想像できる能力と、その想像した状況から論理的に推論する能力にかかっています。このスキルは、普通の子どもが遊びの中で頻繁にしていることなのです」(『遊びが学びに欠かせないわけ』ピーター・グレイ著/築地書館)。


この本の中で著者は、「遊びは想像力を促進する心理状態」であるとし、「遊びの気分の中」で想像することの重要性を説いています。子供も大人も、いろんな場で遊びを奪われることで、想像力を発揮する機会を奪われているという問題意識がそこにはあるでしょう。「想像力」をテーマに掲げた今回、想像力のメカニズムをめぐって話を深めるのではなく、想像力が発揮される要因として遊びを捉え、現場にカタルタを導入する意義を言語化する方向で話が展開しました。小松さんは、たとえばロジカル版の語彙がもたらす"らしさ"が語りに影響する点を指摘されました。振り返ってみると、この指摘によって対話が一層深まったように思います。

 

文体と役割

ロジカル版やストーリーテリング版の語彙の違いが象徴的ですが、他のカード種にもそれぞれにまた別の"らしさ"があります。それらが語りに対し別様に影響します。このとき、たとえ語り手がそのことに無自覚だとしても、語りには演技的要素が混ざっています。カタルタを即興的に用いる体験において、語り手は外から与えられた語彙の持つ印象を引き受ける格好で言葉を発し、一つのシーンをつくります。さらに、カードの語句の印象に加え、語句が想起させる展開を予期という形で聞き手と共有することになります。つまり聞き手は、語り手が語彙から引き受けた"らしさ"を共有した状態で、次に何が語られるかを待つことになるのです。

この状況は即興演劇を連想させるものです。しかし考えてみれば、学校や職場で役割を果たすことと演じることの境界には、曖昧さが潜んでいます。仕事をこなし、生活していく速度感では、役割と演技の間に広がるグラデーションを明確に意識する余裕がありません。また、その境界を自覚的に捉えることには認知的な限界もあるでしょう。

今回のトークセッションでは、カードの種類を「文体」に置き換えてお話しましたが、当然それらはイコールではなく、カードの語彙は文体を構成する一部の要素に過ぎません。しかし、「文体」と「役割」の間にある関係性に話が及んだのは、大変意義深いことだったと思います。この二つのワードの組合せは、無自覚と自覚の交流を促すのに有効だと思われるからです。

私たちは文体から無自覚的な影響を受けやすい一方、役割には自覚的であることが求められやすい。このような偏りは、さまざまな場面に即興性と協働性をもたらすための仕掛けとしてうまく機能するでしょう。あまりに自然で日常的な質感だからです。当たり前すぎて気づきにくい偏りと、驚くほどの凡庸さが油断を誘います。こうしたベースが整うことで、ときに想定していなかったタイミングで、ときに想像を超えた程度で、"その瞬間"が訪れるのでしょう。つまり、ひらめくとか、自分で自分に驚くとか、人の意外な一面を知るといった瞬間です。

忘れてはならないのは、誰の口から"それ"が語られることを望むのか、ということです。

 

遊びの提案

あなたは誰とカタルタをしたいですか? その誰かとあなたの過去のやり取りの中に、どんな役割と文体が潜んでいるか確認してみてください。そして、ここからは遊びの提案です。若干乱暴かもしれませんが、思い切って...

役割を入れ替え、文体を取り替えてみましょう。

まるで即興演劇のようです。話者がひどく照れるようなら、あるいはその気になれないなら、代わりに、なるべく場の目的にそぐわないカタルタの種類を選んで使ってみてください。きっと想像力を触発する遊びになるはずです。

 

最後に

今回、想像力とカタルタの関係性を新しい観点で捉え直し、言語化することを目標の一つとしていました。その意味では大変うれしい発見がありました。今後も続きを考えていきたいと思います。

ご参加のみなさんにおかれましても、何かしら発見があったことを願っております。まずは、長い時間お付き合いいただきありがとうございました。アンケートの回答がとても充実しておりましたので、今また改めて咀嚼しているところです。

登壇いただいたゲストの小松さん、サポートいただいた岸さん、改めましてありがとうございました。最後にお二人のご活動の一端を以下にご紹介いたします。


小松麻美さんのプロフィール
https://www.kobe-du.ac.jp/faculty_member/a-komatsu/

岸智子さんのサイト
https://waku2kiroku.com/