(2019年6月20日の記事転載)
僕が知らないだけで、カタルタ体験の特徴をうまく活かして実践の場で使用されている方は、確実にいらっしゃるのだろうと思います。そんな事例の一つを、つい先日知りました。2014年の大分県立大分工業高校で実施されたもので、就職試験のグループワーク対策としてカタルタを使用した資料がWEBで公開されています。http://bitly.com/2IC2d12
リンク先にある生徒さん向けの資料の中では、「楽しむ」ことがキーワードとされています。楽しい場にしたいというのは明らかなので脇に置いておくとして、限られた時間で体験を充実させることにつながる要素として着目している点をここでは2つ挙げ、考えるきっかけにしていきたいと思います。
- 理解の歩調を合わせる
- 同時に同じことへの意識を集める
どちらもカタルタが果たすことのできる役割だと考えていることです。
グループワークでよくある光景が次のようなものです。
誰かがカタルタをめくったとき、参加者はみなそのカードに注目します。その瞬間はみな同じ言葉を思い浮かべています。その後、一瞬それぞれに考えを巡らす。新しい情報が話者によって追加される。そしてまた次のカタルタがめくられることでみな同じ言葉を思い浮かべる。
と、その流れを繰り返す中でだんだんと、語られているシーンの詳細や文脈の理解が揃ってきます。理解の歩調が合ってくるわけです。
そんな風に前提が揃った上で、みんなの意識が一点に集まると、特に話者の行為は注意深く観察され、評価され、共有されやすくなる。
その結果として、気づきや共感の場面が増えたり、その場が印象深いものになる。
こうしたことは大いに起きているのだろうと思います。
一方で、“増やす”ばかりでなく、“減らす”ことも大事でしょう。話題化することが多すぎて収集がつかず、重要な発見や気づきを回収できないのではもったいないからです。
フィードバックを得るにしても与えるにしても、許容量を超えてしまっては、その考察の結晶化に時間がかかることは容易に想像されます。
それに比べ、話題がある程度絞られていれば、物事は吟味され、反芻されもするでしょう。結果、授業の時間、研修の時間という枠を超え、日常全体に渡ってその日の体験について振り返る機会が生まれるという側面はあるのではないでしょうか。そこからさらに派生する思考や会話だって期待できます。
そんなことを言い出したらキリがないように思えますが、重要なのは起点が自覚されることではないでしょうか。それによって始まりがなんであったかを認識し、逡巡しかねない思考の中にも因果関係がセットされます。そのようなプロセスを経て生まれたのが他でもなくカタルタだったということもあり、長く考える、何度でも考える、というアプローチが楽しいものになるよう応援したい気持ちが僕にはあります。勝手に。
と、外野で書き散らしているわけですが、就職試験での成果に少しでもお役に立てていたらよいなと心から思います。何しろ5年前の資料のようですので、なおのこと感慨深い。カタルタにも歴史ができてきているのだなと実感します。
当記事を読まれた方で、ご自身の実践された事例を共有いただける方、見聞きした事例をご紹介いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。お待ちしております。